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最高裁判所第一小法廷 昭和59年(行ツ)338号 判決 1986年7月10日

福岡市中央区薬院三丁目三番八号

上告人

加藤幸男

右訴訟代理人弁護士

水谷昭

福岡市中央区天神四丁目八番二八号

被上告人

福岡税務署長

徳永正幸

右指定代理人

中本尚

右当事者間の福岡高等裁判所昭和五七年(行コ)第七号所得税修正申告書無効確認等請求事件について、同裁判所が昭和五九年九月五日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人水谷昭の上告理由について

本件更正をすべき理由がない旨の通知処分及び本件過少申告加算税賦課決定処分を適法とした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。訴外豊島税務署長が訴外株式会社サンライズ貿易に対する法人税の更正通知書において本件貸付金を翌期首現在利益積立金に計上したことは、本件の右各処分の適否に影響を与えるものではないから、右の影響が存することを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解を前提として原判決を論難するものであつて、いずれも採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 谷口正孝 裁判官 角田禮次郎 裁判官 高島益郎 裁判官 佐藤哲郎)

(昭和五九年(行ツ)第三三八号 上告人 加藤幸男)

上告代理人水谷昭の上告理由

第一点 原判決は、憲法が保障する租税法律主義に違反したものであり、破棄を免れない。

憲法第八四条に「新たに租税を課し又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件による事を必要とする。」と規定されているが、これは租税法律主義を明確に宣言しており、租税法律主義の内容としては「課税要件法定主義」「課税要件明確主義」合法性原則」及び「手続的保障原則」等の諸原則が含まれているものである。

原判決は、被上告人が法人税法第一三二条による同族会社の行為、計算否認規定に基づかずして本件課税をなした違法があるのに、上告人に対する所得税の課税の対象たる所得が生じたか否かはその源泉である支給者の法人についての法人税法上の否認乃至損金不算入の手続きを経る必要がない旨の判断を示している。

本件事案は、本件旅費の支給法人「サンライズ」が旅費勘定(損金勘定科目)において支出した金額について派生する問題であるから、そこには税務会計上及び、税法上の統一的な課税手続きがなければならないものであり、右の租税法律主義の内容たる諸原則を満足させなければならないものである。

すなわち、法人が個人に支出した金額について、税法に基づく課税処分をなすに当つては、法人税と所得税とは裏腹の関係に立つものであつて法人の課税手続とその税務会計処理をなさないまま、その支出金額に個人所得税を課税することは許されないものである。ただし、被上告人の内部関係たる法人税の課税関係においては、未だ積立金を留保して課税しておきながら、一方では源泉税でその積立金に対応する部分を社外流出として賞与認定をして課税することは自己矛盾である(はつきりいえば、被上告人の法人税係では本件貸付金は未だ賞与と認定していない)。

右は甲第二七号証の昭和四八年三月二日付豊橋税務署長が作成した株式会社サンライズ貿易に対する昭和四六年四月一日から四七年三月三一日間の事業年度に対する法人税額等の更正通知の更正理由加算額欄2、旅費交通費過大(貸付金計上漏れ)二七七万四二五九円、摘要・「旅費交通費として損金に計上した加藤幸男氏の九州出張については、当社の業務に関係のないことは矢島部長の申立等により明らかであります」との記載、及び甲第二八号証の昭和四九年一月三一日付豊島税務署長作成の株式会社サンライズ貿易に対する昭和四七年四月一日から四八年三月三一日間の事業年度についての更正通知書、更正の理由記載中、加算額10「旅費交通費中で費用として認められないもの」二四七万四五〇〇円、摘要「旅費交通費中加藤幸男氏の支出額二四七万四五〇〇円は会社の業務に関係ないものと認められますので費用とは認められませんので加藤氏に関する貸付金として処理しました」旨の各記載があり、これが本件の法人税法第一三二条に基づく株式会社サンライズ貿易の法人の行為計算否認規定に基づき同法人から上告人に対して支給された旅費についての行為計算否認した税務更正関係であり、同更正通知書により、右貸付金認定分は法人税法上の積立金額に加算されており(二枚目)、これが、甲第二二号証乃至甲第二五号証の被上告人の「サンライズ」に対する各更正通知書において右貸付金として計上されたままであり、積立金計算がなされている。

しかるに原判決の認定は、当該法人の支出金の処理を無視しても所得税法上の課税目的に照らして合目的に判断すれば足りるという税法及びこれに基づく税務会計処理についての基本原理を度外視した理屈をもつて租税法定主義を回避しようとしているものである。これは、本件貸付金が認定賞与として源泉税を課税された後の被上告人側の調査に基づいて作成された「サンライズ」に対する法人税額等の更正決定通知書(甲第二二号証乃至第二五号証)に、本件貸付金が積立金にそのまま計上されている(この積立金計上の事実は未だ上告人が本件旅費を上告人の賞与と認定していない証左であるが)事実に目を覆うための理屈と言わなければならない。

原判決が判示するように、法人の支出について、これを法人税の取り扱いに関係なく個人に対する所得税の処理のみをもつて是とするならば、個人に対しては所得税が課税されているのに法人については当該支出金の性質(資産性か損失性か)の判断とその旨の税務会計処理のないままの状態という不統一の結果を是認する税務会計処理が認められることになるわけである。しかし、このような不統一な法律関係は講学上もまた、税法に基づく税務会計の事務上も認められていないことは理の当然であり、違法と言わなければならない。この点において、すでに原判決は税法の構造仕組み及び税務会計乃至会計学の基本を理解しないものである。

法人の支出と個人所得との課税処分関係を明らかにする為に租税法にはわざわざ行為計算否認の規定が儲けられているわけである。実際の課税処分手統面においても、まず当局は、当該法人の貸付金を社外流出として認定賞与の処分手続きを経た後、当該認定賞与を個人に対する源泉所得税の課税手続きをすることになつているのである。

すなわち、実際の内部実務面からみても税務当局の法人税係が法人から個人に支給した立替金、貸付金について法人税の処置をすることはなく、個人所得税係において当該法人の資産の課目を勝手に賞与と認定して課税した例は本件を除いて皆無のはずであり、理論的にこれに課税する所得税法上の根拠はありえない。つまり、所得税法は利子所得・配当所得・不動産所得・事業所得・給与所得・退職所得・譲渡所得・一時所得・雑所得の九種類の所得を掲げているが、法人との関係においては法人が個人に対する支出の形態が右九種類の所得のうち給与所得に該当するときに初めて、個人所得税の賦課手続きがされる(源泉徴収)のが論理であつて、原判決のように法人と個人とが対立する関係における事案において、法人及び個人の税法上の問題といかに関係するかについての理論的考察を全く考えることもなく、あるいは全く無視して手続きがなされてよいという判断は法人税法・所得税法・会計学を無視した違法なものである。

すなわち、正当な税法及びこれに基づく税務会計上の処分としては、まず本件旅費の損金計上を貸付金として損金否認をなし資産計上処理がなされ、さらに、その貸付金を否認するとすれば右税法上の行為計算否認規定に基づいて否認して上告人に対する賞与認定の法人税処理をなし当該法人から社外流出の手続をした上、今度は所得税法に基づき上告人に対し給与所得として源泉税を徴収すべきである。そしてその結果上告人が所得税法上の面からその賞与を総合課税として申告すべき義務が生じた場合(人によつては申告義務を生じないこともある。)所得税修正申告をなすこととなる。このような手続きが正当な手続であり、租税法律主義の内容たる「課税要件法定主義」「課税要件明確主義」「手続的保障原則」に合致するものである。

ところで、本件事案において、法人税係の取り扱いと源泉税係の取り扱いに差異を生じたのは管轄する当該法人税担当者と源泉税担当者の意思の疎通がなされていなかつたという実務上のミスによることは、税務調査に精通している被上告人としても熟知しているところである。

原判決が、これらの租税法律主義の原則に目をつぶつて手続き違背において行われた課税に対してこれを単に違法でないとし、違法でないという理由の説明もなく支持するということになれば、憲法が保証している租税法定主義は根幹から覆るものと言わなければならない。

第二点 原判決は、所得税法及び法人税法の法令の解釈又は適用に誤りがあり、その法令違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである。

所得税法においては、所得の種類及びその課税標準計算方式を法定している。本件認定賞与は、所得税法第二八条にいう給与所得として把握さるべきものである。すなわち、給与所得は個人の非独立的な労務の提供から生ずる所得であつて、その大きな特徴は給与以外の他の所得がいずれも原則として収入金額からその収入を得る為に実際に要した必要経費を控除して所得を算出することとされているのに対し、給与所得は給与等の収入金額に応じた一定の給与所得控除を控除して求める点にある。また、給与以外の各種の所得については、原則として所得者自らが所得の金額及び所得税額を計算し、その計算したところによつて確定申告をして納税する制度がとられているのに対し、給与所得については給与等の支払者の下において源泉徴収の方法によつて所得税を徴収することとなつているものである。したがつて、給与所得は他の所得と厳に税法上区別されているものである。

法人から給与所得を得る者としては、当該法人の役員又は雇用契約上の使用人である。役員については法人税法第二条第二五号にその規定がおかれており、さらに同法で政令に委任せられた役員の範囲として、政令第七条にその範囲が記載されているが、これらの者に給与又は賞与として支給されたものが給与所得に当たることになる。すなわち、会社の商法上の取締役でなくても同族会社におけるみなし役員という認定がなされた場合において、これらに支払われる給与、賞与は所得税法上の給与所得を構成することになる。ただ、このみなし役員の要件は実質的に経営に従事していることが要件となつている。

ところで、原判決は上告人が「サンライズ」から支給を受けた本件旅費は株主としての立場からするものであつて、「サンライズ」の会社の業務遂行の為のものでないと認定している(むしろ、これを強調している)。してみると、原判決の認定からは本件旅費支給は、右法人税法及び政令にいうみなし役員に対して支給したことにはならないことになる。とすると、右旅費を否認し、単なる株主という者(みなし役員でない)に金銭を支給したということになれば、これを受けた者の収入は贈与によつて得た相続税法上の収入と言わざるを得ない。

同族会社等で会社が法人の代表者又はその他の役員の特殊関係者等に対しての経済的利益の供与を役員の特殊関係者であることを理由に当該役員の給与とみるのが、あるいは第三者とみて贈与とみなすかということは、講学上議論のあるところである。

しかしながら、原判決が認定するように上告人が「サンライズ」の法人の業務遂行に関係のない金銭としてその名目を旅費名義で供与を受けたものであり、事の性質上、株主としての立場からするものであつたと認定しているのであるから、右支給金額を賞与と認定して給与所得と解釈することは到底できない。

すなわち、上告人が得た本件旅費に関する給付又はその税法の否認によつて経済的利益の供与を受けたものとしてもこれを、原判示のように株主個人としての供与と認定するのであれば、当該法人からみれば、上告人に対する贈与乃至寄付となり、法人税法上は寄付金計算の問題となり、上告人についてみれば、当該金銭又は利益の供与は相続税法上の贈与となるものである。

してみると、本件金員を給与所得として認定した被上告人の行為は違法であり、給与所得として合算申告した修正申告手続きもいずれも違法であり、修正申告の必要はなかつたものであるから、これを是認した原判決は法令違背が明確であり、かつ、判決に影響を及ぼすことも明白である。

第三点 原判決は、税理士法・所得税法・国税通則法に関し判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の解釈又は適用の違背があり、且つ東京地方裁判所判例に違反するから、破棄を免れない。

税理士法第二条は税理士の業務を規定している。その業務は、一 税務代理士。二 税務書類。三 税務相談。であるが、これらはいずれも第一項本文において「他人の求めに応じて行わなければならないこととなつている。」(税理士法第二条)

ところで、本件係争になつている申告手続きは、所得税確定申告にかかる修正申告である。

納税申告には、期間内申告(国税通則法第一七条)、期限後申告(同法第一八条)、修正申告(同第一九条)手続きがある。

右三種類の申告にはそれぞれの法定要件及び効果において差異があるものである。所得税法における確定申告は、同法第五条に申告納付及び還付に関し規定があり、一 予定納税。二 確定申告手続きがそれぞれ規定されている。

修正申告は国税通則法に準拠する手続きであり、所得税法とは特別法の関係にあるものと言わなければならない。してみると、確定申告(申告書の提出を含む代理行為)と修正申告(修正申告費を提出する代理行為を含む)とはそれぞれ目的、要件、効果を異にし、しかも修正申告は納税者の不利益(税額を納税者に有利に減額するには、別の規定に基づく更正請求手続をとらなければならない)に影響を及ぼすことが明らかであるから、その各手続きについてはそれぞれ「納税者の求めに応じ」なければならないものである。

原判決は、松岡正一公認会計士が上告人(被控訴人。以下同じ)から確定申告書提出の委託を受けていた事実のみを認定した。したがつて同公認会計士は上告人から修正申告書提出の委託を受けた事実はなかつたものである。(これは原判決理由五、5において「被控訴人は、同年八月一〇日右修正申告書提出の事実を知る。」と認定している事実から、修正申告について同公認会計士が上告人の求めに応じて修正申告をしなかつた事実を自ら確認している)。

にもかかわらず原判決は、被上告人の職員が松岡正一公認会計士事務所に対し、右金員(注・本件旅費)につき所得の申告をするよう勧奨したところ、同年六月二八日同事務所の事務員である高木昌代によつて、上告人の昭和五一年分の所得税について上告人名義の修正申告書が作成され、上告人の不知の間に被上告人に提出された事実を認めている。

右判決の認定事実中、(イ) 被上告人職員が松岡公認会計士事務所に対し申告を勧奨した事実は如何なる意味か理解に苦しむものである。けだし「松岡正一公認会計士事務所」なる人格は存在しないからである。これは被上告人職員が税務代理資格を有する松岡正一公認会計士に対して勧奨した事実がないことを証するものであり、何らの効力を有しないものと言わなければならない。(ロ) 次に、同事務所の事務員である高木昌代によつて本件修正申告がなされた旨を認定しているが、原判決認定のとおり高木昌代は松岡正一公認会計士事務所の事務員にすぎず、税理士資格を有するものではない。非税理士は、税理士法に別段の定めがある場合を除く他は税理士業務を行つてはならない(同法第五二条)と規定されているから、右高木が松岡正一公認会計士の代理人として税理士業務を行うことはできない。したがつて、高木昌代が修正申告書を作成しその修正申告書を被上告人に提出した行為は正に税理士法の趣旨に反し、上告人の求めに応じてなした修正申告ということはできないから、右申告は上告人がした修正申告としての効力を有しないものである。原判決事実認定は、正に税理士法の右規定についての法令の解釈適用に誤りがあり、その誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

また、本件は、高木昌代が被上告人職員からの申告勧奨によつて行つた修正申告書の作成及び提出行為が上告人の代理人として有効かどうか、という問題に帰着するものである。

ところが、原判決認定事実によつても上告人が高木昌代に修正申告についてこれを依頼した事実はないことはもとより、同人に確定申告の依頼をした事実もないのであるから、そこに代理権が発生するはずはなく、高木昌代の本件修正申告行為は無権代理行為に基づき、法律上の行為を生じないものである。

なお、高木昌代は公認会計士松岡正一事務所の事務員であるとしても次の判例に徴すると、法律上の効力を生ずるものとは言えない。すなわち、東京地裁昭和四五年一一月三〇日行裁例集二一巻一一、一二合併号一三八五頁によれば、所得税修正申告及びこれにかかる調査税額の納付が納税者の不知の間に、且つ納税者の意思に反して私設秘書によつてされ、しかも納税者がこれらの無権行為を追認した事実も認められない以上、修正申告及び納付は法律上の行為を生じないと判示している。もつとも、同判決はその後東京高裁及び最高裁によつて、本人の具体的指示もしくは包括的指示があつたとされ、逆転しているが、本人の具体的指示乃至包括的指示がない場合においては無権代理行為であるという裁判例であることは肯定できるものである。これを翻つて本件についてみるに、本件修正申告をした高木昌代は上告人の秘書でもなく、雇人でもないから、直接同人との間に修正申告をゆだねるような間柄になかつたことはもちろんのこと、具体的指示もしくは包括的指示をした事実もなかつたことは明らかである。

また高木昌代は公認会計士松岡正一氏の雇人ではあつたが、上告人が本件年度にかかる確定申告を依頼したのは松岡正一氏であつて、高木昌代ではない。しかも前述のとおり、修正申告に関して上告人に対し松岡正一公認会計士自らがその勧奨をしたことはなく、本件修正申告については松岡正一公認会計士自身もその事実を知らなかつたものであるから、個人が高木昌代に上告人の修正申告について一切の指示をしたこともない。また、本件修正申告については原判決が認めているとおり、上告人本人が過少申告加算税決定通知書の送達を受けて初めてこれを知り、これに対し不服申立をしているものであるから、右修正申告の追認をしたり、あるいは無権代理行為を追認したという事実も存在しないものである。

してみると、本件修正申告は高木昌代の無権代理行為によつてなされたものであるから、上告人名義の修正申告は無効であると言わざるを得ないものである。

第四点 原判決は債権免除(放棄)に関する民法及び租税法の法令解釈又は適用に誤りがあり、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

甲と乙との間において債権関係が存在する場合、これを税務当局が一方的に甲又は乙の債権を免除したり、放棄したと認定することができるかどうかということは、民法及び租税法の解釈上重大な問題である。

つまり、国民の間における民法上の一般的債権債務関係に租税当局が介入してこれを一方的に放棄又は免除の認定をするということは、当局が介入して放棄させ又は免除させるという民法の法律関係を形成させるという重大な結果を生むことになるからである。

しかもすでに述べたごとく、憲法は租税法律主義を堅持しているから、仮に当事者間において経済的にいささか異常な形態が存在したとしても、それをもつて租税回避行為と認めてこれを否認することは許されないものである。

ドイツ租税基本法第四二条は「<1>法の形成可能性の乱用による租税法律を回避することはできない。<2>乱用が存在するときは、経済的事象に相応する法的形成をした場合に発生するのと同じように租税請求が発生する。」と定めて、租税回避行為に対する一般的否認規定を設けているが、わが国においてはこのような一般規定は存在しないから、「同族会社の行為、計算の否認の他、一般の否認を認める規定のないわが税法においては租税法律主義の原則から、租税回避行為を否認して通常の取引形式を選択し、これに課税することは許されないところと言うべきである。」(東京高裁昭和四七年四月二五日判決、一二三号四三頁以下)

被上告人は、<1>支給者「サンライズ」が税務署に対し本件旅費の回収の申告をしたこと<2>長期間返済をしなかつたこと<3>決算に表示しなかつたこと<4>利息を徴収しなかつたこと<5>四年余り一度も請求しなかつたこと<6>したがつて請求の意思がなく、回収を断念したと認められること等の事実を理由として本件旅費に関する貸付金としての債権を放棄したものと認定して賞与とみなし、これに源泉税を賦課し、さらに、松岡公認会計士事務所の事務員高木昌代に対し上告人の修正申告を勧奨した。

しかしながら、本件旅費が支給者である「サンライズ」において受給者である上告人に対し「貸付金」として処理したことについては何ら知らせておらず、且つ上告人には貸付金債務の認識がなく、上告人が本件旅費を通常の旅費として支給を受けとつたままの認識から、これが貸付金として認識がなかつたものであるから、被上告人が主張する事実、すなわち<1>長期間返済しなしこと<2>利息徴収がなかつたこと<3>四年余り一度も請求がなかつたこと等の事実関係は上告人にとつては当然であり、これらの事実から上告人に対し、「貸付金」だの「債権放棄」だのとの事実を一方的に認定されることは上告人にとつては晴天の霹靂である。

また、原判決は、支給者が税務署に対し本件旅費を回収する旨の申告をなしていることを貸付金の根拠とするが、その事実は上告人において全く知らないものであるから、支給当時、旅費として支給を受けた上告人としては、あくまでも旅費としての認識しかなく、貸付金という債務の認識は全くない。

もし、貸付金としての認識があつたとすれば、上告人は高額所得者であるから実際に消費した旅費について課税されることを好むはずはなく、貸付金を返還する行為に出ることは必須であり、上告人にとつて二重の支出となること、つまり、本件旅費をさらに認定賞与として課税され納税をするような行為を回避したであろうことは容易に推認できるものである。

要するに本件は、上告人の全く知らない間に税務署と「サンライズ」の経理担当者等との間において適当に処理をされてきた経過がある。上告人が、その事実関係を知つたのは本件旅費が上告人名義において修正申告がなされ(これが上告人の知らない間に行われたことは原判決でも認めている)、修正申告に基づく過少申告加算税賦課通知書が送達されたときが初めてであり、上告人はこれに債権して本件課税手続きに対する不服を申し立てたものである。

したがつて、上告人が本件旅費をめぐる税務上のトラブルについて知る議会があつて、これを争わなかつたのであればともかく、原判決のように「サンライズ」側が争わなかつたとか、「サンライズ」側の役員が争わなかつたという事実をもつて、上告人の責めに属するような判断をするのはいささか一方的手落ちであると言わなければならない。また、一般生活の法律関係においてこれをみるに債権関係は一般国民において容易に理解し得る法律関係であるから、仮に債権の消威原因である免除とか放棄とかいう事実については当事者間において充分理解の上処理さるべき事柄である。したがつて、税務当局が当事者の相互の認識に反してまで免除或いは放棄と認定して課税をするということになると、これは、善良な市民の法律生活の中に税務当局の権力が立入ることとなるのであつて、民主主義に反するものと言わざるを得ない。

税法の解釈においては、確かに経済的利益という特異な解釈法則があるから、いわゆる民法の法律要件あるいは法律効果についてこれを否定した解釈が成立つかのようにみえる場合もあるが、しかし法律の解釈はあくまでも課税当局の恣意的判断にゆだねるものであつてはならない。そうでなければ法的安定性を欠くことになるし、国民は何を基準にして行動をしてよいかということに迷うことにもなるのである。徴税行為においてその解釈認定が徴税当局の恣意的判断と解釈による弊害があつたことはつとに歴史の証明するところであつて、その意味からも憲法が租税法律主義をわざわざうたつているのである。

経済生活において租税負担の公平的な見地から経済的利益という事実関係を税法が課税標準として把握することは否定するところではないが、それ以上に法律関係そのものを歪曲したり、あるいは徴税官が法的根拠(手続)に基づかない恣意的認定によつて租税を賦課することは不当であるといわなければならない。

本件では正に当局が上告人に対し悪感情をもつて、その支給した旅費をまず貸付金という一時的な経理科目に置き換え、これをある時間放置させた上で否認する(最初から旅費として否認し認定賞与としておれば上告人も不服申立てにあたつて防御の機会に本件事件におけるよりも有利であつたことは自明である)という権力行使を行つたものであり、しかも賞与認定に当たつては法の適用手続きを無視して課税したものであるのに、原判決はこれを看過するだけでなく、むしろ違法な課税手続き方法を支持するべく不当な理屈をつけているものであつて、その違法性は極めて大きく、これを破棄しなけば著しく正義に反するものと言わなければならない。

第五点 原判決は、本件認定賞与の所得の帰属年度に関する審理不尽の違法ならびに税法の解釈又は適用に誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすべきことが明らかである。

原判決は、「国税当局に対し、「サンライズ」代表取締役から本件旅費につき被控訴人に対する貸付金として回収する旨の申出がなされ」たこと(理由八)、「「サンライズ」において、もはやその貸付金を放棄した状態にあり、したがつて、同社が被控訴人に債務免除の利益を与えたものと判断し、これを賞与支給に相当するものと認定し、かつ、これを同社の昭和五〇年四月から昭和五一年三月までの事業年度末を支給日とする賞与に当たると認定した税務当局の判断は相当であつて違法の点はない」(理由九)と判断する。

しかしながら、まず、原審が本件賞与の認定の根拠となつた「債務免除の利益を与えた」時期についての審理不尽がある。

すなわち、税務当局が「サンライズ」について、第一次的に前記行為計算否認にかかる上告人に対する旅費支給金額を貸付金と認定(以下、第一次認定という)したのは、四八年三月二日と四九年一月三一日であり、その貸付金についてさらに第二次的にこれを賞与と認定(以下、第二次認定という)したのは五一年三月である。

右第一次認定と第二次認定との時間的間隔は、二乃至三年であるが、この事実関係において、同判決が「債権放棄の状態にあつた」と認める税務当局の認定を是認することは審理不尽の誤りを免れない。しかも、右第一次認定と第二次認定の事実関係と時間的関係はいかにも作為的であると言わなければならない。つまり税務当局が、時間をずらして上告人に知らしめないような時間的関係において上告人の認定をしようという意図があつたものと疑ぐらざるを得ない。

本件原判決の事実摘示及び事実認定をみても、上告人が本件旅費を支給された金額についてこれを「サンライズ」から貸付金として処理されたことについて、上告人に認識があつたという事実関係については全く事実認定がなされない(むしろ過少申告加算税の賦課決定がなされて初めてその事実を知つたことを認定している)。債務の認識がない者はその債権の返済を考える余地もないことは当然の理であるから、被上告人がもし、「サンライズ」と上告人との間の債権債務関係について放棄の事実を認定するとすれば、債権者である「サンライズ」は当然のこと、債務者である上告人に対しても債務認識(債務支払能力及び意思)処分等について、これを確認すべきものと言わなければならないのである。しかも、債権放棄の事実認定は本来、債権免除の意思表示が必要であるが、「サンライズ」がその意思表示をしたことの事実は認定されておらずまた、上告人は債務の認識すらないわけであるからその意思表示を受領することも考えられないわけである。また、債権者であつた当該法人も債務者に債権の存在を知らせてないわけであるからそれを免除するという意思表示をするはずもない。これを「債権放棄の状態にあつた」と抽象的に事実認定している点は、まさにこれらの点についても原審に審理不尽の違法があるといわなければならない。

要するに税務調査において当初の旅費否認をした第一次認定の事実関係がそのまま放置されていたにすぎないのであるが、原判決は、当該法人が本件旅費否認手続きにおいて、これを争わなかつたこと及び賞与認定を受けて源泉税納付手続きをして同じく争わなかつたことを指摘して処分庁の行為を是認しているが、これはいずれも上告人の知らないことであり、その故をもつて上告人の不利益に帰せしめることは不当である。

なお、前記更正決定書の内容をみると、更正項目及び金額は多項目且つ多額のものにわたり、本件上告人に関する旅費はその極少部分にすぎないのであるが、「サンライズ」はこの旅費を含めすべての更正項目について争つていない。仮に、他の項目あるいは金額について争つているにもかかわらず上告人の部分について争つていないという事実関係であればともかく、すべて争つていないということは、証人下山氏の証言にあるとおり、「サンライズ」は税務署に対する争わない姿勢が本件旅費問題についてもたまたま取られたにすぎなく、源泉税の納付手続きも当然そのような態度において行われたのである。したがつて、「サンライズ」が争わなかつたことをもつて、上告人が被上告人の認定を是したように上告人に不利益な間接事実とすることも不当である。

被上告人側が主張しているとおり<1>本件貸付金と認定した金額が長期間返済がないこと<2>決算書に表示がないこと<3>利息が徴収されていないこと<4>四年余り一度も請求していないこと<5>「サンライズ」において請求の意思がなく、回収を断念していること等の事実関係に、上告人が本件旅費について貸付金と認定されたことの認識がないことを併せて考えれば、右行為計算否認時において本件旅費を損金として否認する際においてはこれを「貸付金」などという間接的な処理でなく、当初から旅費という名目においてこれを否認するのならば、その時点において現実に現金の供与を得ているのであるから上告人に「経済的利益を供与した」認定賞与として課税すべきであつたものである。

本件事案は、右否認手続においてその金額を一旦、上告人に対する貸付金と第一次認定をなし、その貸付金については上告人にその通知をせず、専ら法人税の追徴手続きのみ行い、上告人において争う資料も喪失したり、記憶も簿れた時期において貸付金が債権放棄されたものと第二次認定し、認定賞与として本件所得税の修正申告を勧奨した関係にあり、しかもその勧奨及び修正申告の事実すら上告人は知らなかつたという事実関係を総合的に勘案すると、上告人としては法人から支給された旅費を実際に九州地方等の旅行等に費消し何ら利得をしていないうえに、当該旅費が貸付金と認定された事実も全く知らない間に時間が経過し、ある日突然、一方的にこれを上告人の所得、しかも貸付金の放棄という全く予測もしない事実関係の構成の下において課税されたわけであるから、上告人としては納得がいかないことは第三者から判断しても容易に理解し得るのである。

原判決は被上告人の第一次認定、第二次認定の上にたつた税法上の所得の帰属年度に関する(法人税法第二一条・第二二条・第三五条、所得税法第二一条・第二二条・第二八条)令の解釈適用を誤つた違法があり、これは判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第六点 原判決は、債権放棄に関する税法上の解釈に誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。

租税法は、憲法に根拠をもつ法規体系であるから、徴税当局の恣意によるご都合主義的に解釈することがあつてはならないものである。したがつて、債権放棄又は貸倒れという事実認定をする上においては法人税法及び所得税法において同一の解釈認定基準がなければならない。

法人税法第二二条において所得の計算方式を定め、その損金の額の認定方法につき、法人が有する売掛金、貸付金その他の債権についてそれを貸倒れとして損金の額に算入することを認めるには、一定の消極的基準が定められている。

すなわち、法人税法基本通達九-六-一乃至三に規定するところによらなければ、たとえ当該法人が債権放棄をしても、貸倒れとして損金に算定することができないことになつている。

この貸倒れ認定の基準は右通達を総合すると、すべて相手方が資産を失い債務者の支払能力がなく、全額が回収できないことが明らかになつた時においてその貸倒損金計上を認めているのである。

翻つて本件事案についてみるに、原判決事実認定及び判断においても貸付金の債務者たる上告人の資産状況、支払能力等からみた貸付金回収不能か否かについての認定判断は全くしていない(むしろ、弁論の全趣旨からみれば支払能力は十分過ぎると認められる)。そして、専ら債権者たる「サンライズ」の側の、しかも一方的なものの見方において「債権放棄」を認定しており、上告人の意思乃至事実の認識及び資産、支払能力、支払意思の確認判断すらしないまま恣意的判断において、上告人の不利益に帰すような事実認定をしているのである。

このことは通常の税務調査において貸倒れの認定が前記通達上、極めて厳しいものと矛盾撞着するものである。言い換えれば、右法人税通達からすれば、本件貸付金の放棄は到底認められない。しかるに、徴税当局は取らんが為の理屈として原判決認定のような事実認定及び判断を下して、債権放棄を擬制しているものであるが、この違法な行為を支持する原判決も明らかに税法解釈に関する違背があり、判決に影響を及ぼすものである。

第七点 原判決は、経験法則に著しく違背した事実判断を行つており、それが常識に反し論理のつじつまの合わないものであり、判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れない。

第一審裁判所は原告(上告人)がサンライズ貿易の単なる株主にとどまらず、当社のオーナー又は会長としてその実質的な経営に従事していたから、仮にサンライズ貿易が上告人に支払つた旅費を貸付金として処理する旨を申入れたとしても当社がそうした旅費を申出た事実自体では同社自身が貸付金としての処理を承諾していた事実に過ぎず、原告(上告人)に対する関係においてまでそのような処理をしたことが当然適法視されるわけはないと認定しているにもかかわらず、控訴審判決は「被控訴人(上告人)が法律上サンライズの代表権を有しないこと、当然には業務の運営方針を決定し又はその執行に携わる地位になつたこと上告人の会社運営に関する意思決定がそのまま会社の意思決定でもあるといつた関係になかつたこと、事業家であり株主である上告人個人の方針乃至意思によつてゼネラルやオリエントを含む企業グループの結成に走つたこと、したがつて事の性質上、上告人は株主の立場からそのような企業間の事実調査、人事交流その他の調査等の行動をとつたものである」と全く逆転判断をしている。

しかしながら、本件旅費が上告人によつて、上告人によつて、上告人の福岡方面の旅費として使用されたことについては第一審判決が認めるところであり、(第一審判決書理由中、二、2、(二))原判決もこれを前面的に否定していない。そして、原判決は、上告人がサンライズの大株主たる地位から社内において社長、会長の上に君臨するオーナーとして、事実上その経営に関与してきたことも認めているのであるから、昭和四六年七月頃から四七年後半にかけてのオリエント(旧商号 株式会社 豊栄)の経営権問題についてサンライズから人材を派遣したり金融する等のことをなし、オリエントを企業グループの一員に加える営業活動をしたことをもつて、単に上告人個人の事業欲だけで事を処理したとみるのは近代の経済界の経済活動における人事交流、資金繰り、情報交換その他もろもろの経済活動についての常識を全く踏まえないものであると言わなければならない。

原判決は、現実に企業グループの組織化が実現したのは昭和四八年二、三月頃であると認定し、これをもつて本件旅費性を否認するけれども、逆にこのことは上告人が右本件旅費を、かかる企業グループ化の為に営業活動したことの証左と言わなければならない。つまり、原判決も「上告人は東京朝日の代表取締役の地位にあつた昭和四五年一月当時からすでに東京朝日自体が国内の名取引所に加盟して、総合仲買店として発展することを目指すのはもちろん、将来は複数の取引所乃至有力取引所に加盟する同系仲買店を衛星的に数多く持ち、それぞれが、独立採算性を確立し、相互に協力しながら日本全土に朝日の名を浸透させて全国一の仲買チエーン商社として発展していくことすなわち、仲買商社による企業グループの結成を思考していたことが、伺われる」と認定しているように、サンライズ貿易を介してそれら兄弟会社、姉妹会社、系列会社を全国に設けようとして活動したことが伺われるものである。しかも、商品取引業界というのは通常の物を生産する会社、物の売買等をする会社とは異なり、商品市況の先見性を見極めることに全運命全勢力をかけるものであるから、全世界的、全国的に気象・商品生産状況・生産量・物流状況・消費状況・生産者・仲買人・消費者動向・取引の取組・仕手の動向等諸々の情報収集が必要とされることも常識である。

業界は右の情報収集、営業の協力(市場での売り、買いの勢力関係)等が使命を制するものであるから、企業グループ化は即、各企業の利益不利益に関係するものであり、ローマは一朝にしてならずの診のとおり、長い時間と絶ゆまない活動と努力が必要であつたことは、当然の理である。にもかかわらず、そのような企業グループの結成上告人の事業意欲とか、株主の力場からする一時的事業買収活動とみるのは甚だ近視眼的であり、商品先物取引業界の実態を全く理解しないものと言つても過言ではない。

本件旅費を課税したことの被上告人の行政処分の適法性を支持しようとする余り、経済界の経済活動、とくに近代資本主義経済の花形である商品先物業界、又国内における同族会社が過半数を占める日本の現状及びその同族会社において経営支配がいかになされているかという実態を無視して常識に反し、論理に反した事実を認定した原判決は経験則遠背による違法があり、これは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

代表権を有しないから、その機関として当然に業務の運営方針を決定し、又はその執行に携わる地位を有しないなどという判断は、いわゆる一流非同族企業における商法の形式的な機関論議に過ぎないものであり、上告人が同族会社たるサンライズの大株主の地位から社内において社長、会長の上に君臨するオーナーとしてその経営に関与してきたとの原判決、自らの認定とも系盾するものである。

同族会社においては、大株主のオーナーが当該法人の意思決定について万能であつて、各目的代表権などというものは形該化しているのが実態である。

原判決がこれらの諸事実、諸経験則等を着過して上告人の会社運営に関する意思決定がそのまま会社の形定でもあるといつた関係になかつたと判断しているのは、税務当局の徴税行為を支持しようとするあまり、これら各経験則に基づく常識に反したいわゆる形式的な会社機関論に立つ理屈に過ぎないものと言うべきである。

また、原判決は株主たる力場からする行動を会社の業務遂行の為の行動であるとして会社にその報酬や費用の弁償を求めることができない判断している。なるほど、商法の規定から言えば株主は会社に対してそのような請求ができない形式になつていることは事実である。しかしながら、本件旅費が「サンライズ」の業務の為の旅費でないとするならば、その旅行費用は一体何の目的の下に行われたものかということを審理すべきであるのに、原判決はただ単に上告人が株主として物見遠山旅行したかのような抽象的認定をし、それ以上の検討をしていない。上告人は「サンライズ」の五〇パーセントの株式を有する大株主であり、原判決も認定しているように「サンライズ」を中心にした全国仲買店チエーン組織を構成しようとして活動していることを併せ考えれば、本件旅費について「サンライズ」の為の業務性を全く否定することは常識に反するものと言わなければならない。

また、同族会社の実態においてはその大株主が経営権の全般を把握して、事業を遂行している反面、経費の支出においてもそれ相当なものが支出されているという実態に鑑み、法人税法においてその実態に即してそのような者に対して形式的な商法上の役員名がなくても、会社の運営を行つていることについて当該法人の支出を是認し、これが目に余るものについて行為計算否認によつてこれをフオローしているものである。この点において原判決の判断は、正に発想において逆転的であり、常識に反したものと言わなければならない。

次に、原判決は上告人が豊橋に出張した旅費についてサンライズの代表取締役が後日、貸付金としてこれを回収することを税務当局に申出ていること、及び上告人の本件豊橋への出張が当社の業務遂行の為になされたものと認めるに足る資料がないから、当該旅費に当たらないと認定している。しかしながら、福岡行きの旅費については詳しい論述をし、株主として行つたように判断しているが、豊橋については株主としての理由が付されていない(その点原判決は旅費の判断についての統一性がないと言わなければならない)。

すなわち、、豊橋関係旅費については、福岡関係について詳細に述べたような論拠がなく、単に右一、二の事実で本件旅費を否認しようとしているものであるが、それは第一審判決が指摘するとおり、サンライス貿易がそうした処理を申出た事実があるとしても右のような申出のなされたこと自体が同社自身が貸付金としての処理を承諾していた事実を推認させるにとどまり、上告人に対する関係においてまで右のような処理をしたことが当然適法視されるわけではないとの認定について合理的にこれを覆す証拠もないのは、自由心証とはいえかかる判断をしたことは審級制度を度外視するものである。また、本件豊橋出張旅費について資料がないと主張するけども、上告人が提出した出張旅費精算書及び商業帳簿たる経費明細書及び東京朝日が豊橋の花田産業と合併して豊橋乾商の取引所に加盟してサンライズが取引活動している事実を総合すれば、上告人がその取引所との業務活動の為に出張したことは、容易に推認できるところである。右のような証拠関係が存在する以上、経験則に反する違法なものと言わなければならない。

第八点 原判決は、採証法則に違背した違法があり、判決に影響を及ぼすことは明らかである。

原判決は、他の証拠と共に乙第二号証、同第三号証をもつて本件旅費について「サンライズ」側が本件旅費は上告人の福岡への出張旅費の性質については同社の業務と関係性がないことを認めた証拠としている。しかしながら、同書証の信用性及び証拠価値については上告人が原審において争つており、特に乙第三号証の作成経過については同書証が矢島淳一によつて積極的に作成されたものではなくて、調査係官が上告人の福岡行き出張旅費については帳簿からピツクアツプするようにとの指示に基づいて書きだして表に作成したところ、右係官がその空白欄に「加藤幸男の交通費の内容を検討したところ、会社の業務とは関係なく、加藤幸男個人が負担すべきものが含まれていた。」旨の記載をなした。

これを合一した同証をもつて被上告人は、本件旅費の業務関連性の否定の証拠として提出しているものであるが、右の書証作成の経過をみる時、同書証は本件旅費を否認しようとしている係官によつて、その重要な部分の説明記載がなされているのであるから、本件書証をもつて本件旅費の業務性否定の証拠となすには信用性及び証拠価値はないものと言わざるを得ない。かかる証拠をもつて前述の原判示事実の認定をしたことは、採証法則に関する経験達背がある。また、乙第二号証は下山安男が調査官の求めに応じて作成したものであるが、それは「国税局の調べを早く終えてもらいたいという気持ちから多少の源泉税を会社が払うのであればいいということで認めた。」(証人下山、証拠一二二番)のものである。

すでに述べたように「サンライズ」は、被上告人の更正処分に対しては本件旅費のみならず、すべての否認項目について不服申立をしたり、争つていないことは証拠上明らかであるから、右下山証人の証言の意味する「サンライス」は国税当局の要求について争わないという姿勢は信用出来るものである。すなわち、本件旅費を被上告人係官が否認しようという意図の下に、その業務性について否定させた書面を作成するにあたつても「サンライズ」側担当者及び下山社長は、多少の源泉税の納付で済むことであれば(それが上告人の総合所得として本件のような問題になるとは深く考えなかつた)敢えて角をたてないという軽い気持ちで右書面の作成についての被上告人の係官の調査に連合したに過ぎないものである。かかる経過は「サンライズ」の担当者及び、その責任者において損金支出項目が否認されることを承認したというにとどまり、この事実をもつて上告人が本件旅費についての旅費性を有していないことを承認したことにはならないものである。原判決はこのことについて、一方の側の事実のみから上告人の不利益承認、上告人の本件旅費が業務性を有しないという不利益を上告人自らが承認したようなすりかえ論理で認定しようとしているものであつて、正しく採証法則に違法するものである。

以上

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